さ迷える20代 社会人編

平成7年4月1日、私は晴れて社会人になった。

時間が無いと言っていたわりには、
新入社員研修は想像をはるかに超えて充実したものだった。

自社のもつ北九州のホテルで一週間の缶詰研修。さすが大企業と思った。
そこで初めて社会人としての常識、マナーを叩き込まれ、
私は営業マンとしての第一歩を踏み出したのである。

研修は人事部が行うので、ある種のんびりした感じだった。
ところが研修を終えて同期約200人がそれぞれ配属される各支店に巣立った現場では、
震災後のドタバタを象徴するかのような緊張感があった。
私の配属先は大阪本社で、同志は15人。

我々のサバイバルマッチはもうすでに始まっていた。

サバイバル

第一の衝撃は上司の目だった。
鷹のように鋭く、
新入社員挨拶の時にこの人だけは直属の上司になって欲しくないと思った人が私の上司になった。

本店住宅事業部営業第一課。それが最初の私の職場だ。
同期の一人と共に構成された計7人の課で、
先輩方4人はかつて出会ったことのない素晴らしい人間性を備えた方々だった。

が、肝心の直属上司は鋭い目が示す通りの厳しい人だったのだ。
同期の相方は私より年齢は一つ下にもかかわらず自分を持ったデキル男だったので、
彼は相方の方を即戦力として期待していたようだ。
少なくとも私の目にはそう映った。

事あるごとに相方と比較され、こっぴどく怒鳴られた。
これまでの人生においてチヤホヤされることはあっても、
父親以外に怒鳴られた経験がほとんど無かった私には痛烈にこたえた。

上司に脅え目をそらす毎日。
それがまた上司の逆鱗に触れまた怒鳴られるという悪循環。
やっぱり自分には営業は向かないと本気でそう思った。

5月に入って近畿最大規模(約55戸出展)の千里万博展示場に待機するようになったが、
先輩達は震災で家を失った人々との打合せに毎日奔走していたので、
新人二人で待機する日も少なくなかった。
入社一ヶ月で展示場に入るのは異例のことだったらしいが、
当時は事情が事情だけにやむをえなかったのだろう。

しかし、住宅営業についての研修を受けていない新人二人が接客などできるはずもない。
何度も何度も「わかってる営業マンを呼べ!」とお客様にお叱りを受け、
ますます私は営業が嫌になっていった。

そもそも当時の私はどちらかと言えば九州男児の父に似て硬派であったと思う。
人脈は多かったけど結局は仲間内。見ず知らずの人と話すのにはかなりの抵抗があった。
ましてや飛び込み営業など、玄関ベルを押す指はいつも震えていた。

続きます