バブル崩壊 日に日に募る不満 より続く。

元来短気な私は、この憤りを独自の方法で対抗することにした。
それは、「そっちがその気ならこっちもそうしたろうやないかい」という目には目を大作戦。
つまり逆転の発想で、
「私を採用しないと絶対後悔しますよ」という強気の姿勢で面接に望むことにしたのだ。
これは意外に功を奏した。
企業の面接官(人事部)にももの珍しく映ったのだろう。
立て続けに二社から内定をもらい、あっけなく私の就職活動は幕を閉じたのだった。

不公平な世の中というのは真の実力を求められる世の中でもある。
実力のない者は淘汰されていくので、ある意味チャンスなのだ。

さて、私の内定した企業だが、大手ハウスメーカーの営業と大手塾の講師。
どちらも一度やってみたい職種であったのでどちらに就職するかは非常に悩んだ。
両親は当然のごとく大企業を薦めた。
バブルがはじけたとはいえ、「寄らば大樹」の風習は日本社会に根強く残っていて、
終身雇用と年功序列という日本特有の美徳があったからだ。

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母親いわく、「大手企業に入れば補償も充実しているし、万が一の時にも転職しやすい。
少子化が進んでいる今日、塾業界は衰退していく。」と言うのだ。
私自身としては教壇に立つ自分の姿にあこがれてはいたが、
結局両親の反対に負け営業という過酷な世界に挑戦することを決めた。

振り返ってみると、学生の大多数がそうであったように私は将来について真剣に考えてなかった。
考えることができなかったというのが本音のところだろう。
自分に何が向いているか、何がしたいのかを探す為に人は社会にでるのだと私は思う。

学生時代にそれが定まる人はある意味幸せだろう。
無駄な時間を過ごさずにすむかもしれない。

しかし、一見無駄に見えることこそ実はもっとも大切な事だとだいぶ後になって私は感じるようになった。
20代というのはそれはそれでいいのではないだろうか?
若さ故にできるということはいくらでもあるはずだ。
その件については追々ふれていくことにさせていただこう。

ともあれ、9月に就職先を決めた私の残りの学生生活はまさに薔薇色だった。
単位もほとんど残ってなかったので文字どおり遊び呆けていた。

ところが、卒業試験が間近に迫った平成7年1月17日未明、
関西地区を未曾有の恐怖が襲った。阪神淡路大震災である。

この時はさすがの私も死を覚悟した。
ドーンという音がしたとたんに激しい縦揺れと横揺れが数分間続き、
家の中のものが雨のように降ってきた。

私はベッドで寝ていたが、反射的に布団をかぶったのが幸いして怪我にはいたらずにすんだ。
しかし、精神的な恐怖はしばらくぬけることはなかった。それぐらい凄まじい地震だったのだ。

次回に続きます