二十歳の春、私は関西大学法学部法律学科に入学した。

もう私の中からは根拠の無い夢物語は消え去っていた。
大学も名前で選ぶのではなく学部で判断した。
とにかく法治国家である日本に住む以上最低限の法律を知っておくべきだという考えからだ。

一般に法学部が「つぶしがきく」と言われるのは、実社会において気付くかどうかは別として、
何らかの形で法律が関与しているからだろう。
しかし一番の理由は、論理的思考能力を身につけることが人を納得させる上で必要不可欠なものだからだと
私は思う。

入学後も建設のバイトを週二回ぐらい続けながら、合わせて家庭教師もするようになっていた。
人に教える事の喜びを知ったのもこの頃だったような気がする。

私は昔から国語(特に古典)が好きで、歴史文学を中心によく読んでいたのだが、
自分の雑学的な知識を話すのは結構楽しいものだ。
案外教師に向いているかもしれないと思い、大学ではとりあえず教員免許の必須科目も履修していた。
自宅から通学に二時間程度かかる大学だったのでサークルには所属せず、
思えば寂しい青春時代であったような気もしないでもないが、
合コン等には積極的に参加してそれなりには有意義な学生生活を過ごしていた。

ところが一回生の終わり頃、日本経済に大きな変革期が訪れた。バブル崩壊である。

それまで日本の就職活動は売り手市場で、
先輩達の噂によると内定した企業に海外旅行に連れていってもらったとか、
頻繁にホテルで内定者の集いよろしく豪華食事をご馳走してもらったとか、信じられない話を聞いていた。
そんなうまい話があるものかと疑いつつ密かに期待していた私だったが、突如状況は一変してしまったのだ。

一気に買い手市場は進み、就職浪人者が続出した。
それは年を追うごとに顕著に表れていった。さすがに私自身我ら世代の不運を怨まずにはいられなかった。
受験戦争のピークを経験しながら就職でまたしても氷河期かと、
私だけではなく同期生の間での不満は日に日に募っていった・・・

hyouga

就職協定により、我々の就職活動は四回生になってから始まった。
予想違わず周りの学生は行くとこ行くとこ軒並み不採用で、皆この世の終わりのような顔をして帰ってきた。
就職を諦め、公務員や士業を目指す者も少なくなかった。
幸か不幸か私の場合、一次試験で落とされた企業は一社も無かったが、
反って二次面接、三次面接及び最終面接で日程のバッティングがおこり、
二者択一をせまられることになった。

企業側も理不尽なもので、
「指定した日の変更は受け付けません。来なかった場合辞退したものとみなします。」と、
まさに取り付く島も無い買い手市場の現状を目の当たりにすることになった。

景気が悪くなったとたんに手のひらを返したようなこの態度・・・

ハウスメーカー内定 遊び呆けの日々 に続く